[映画][アニメ]「ハウルの動く城」二回目の感想・後編

ハウルの動く城 [DVD]

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以前に、感想二回目の前編をブログ時評にて
TBして頂いて、そちらから多くの方がいらして驚きました。
まぁ、私が個人的に思ったこととかを書いているだけで
的はずれな所もあるかもしれません。
 
と、お断りして。
(ちなみに前編はこちらhttp://d.hatena.ne.jp/shink13/20050504)
上映期間も残りあと一週間ぐらいかな。
後編を書いておきます。
 
王宮でサリマン先生と面会するソフィー。
サリマン先生はハウルが言うとおり、本当に恐ろしい人。
荒れ地の魔女を無力化するための罠をはり、
王宮を護るために空襲を受けても爆弾が市民の上に落ちるようにして、
ソフィーの義母を脅してカルシファーの力を弱める算段をする。
何より、ハウルが魔王と化すことを防ぐために戦争を続けさせていたようにさえ思える。
(最後あたりのサリマン先生のセリフを聞くと、
その気になればいつでも戦争を止めさせることが出来たはず。
ただ、ハウルが魔王と化した世界での災厄のほうが、
戦争被害より軽いと判断したのかもしれないけど)
 
自らが囮となってソフィー達を逃し、
サリマンの手下の追求を逃れ真夜中に城に帰り着いたハウル
しかしその姿は黒い翼をもつ獣のようで、
カルシファーさえ心配するほど魔王に近づいているよう。
意識さえも、それに影響を受けていて、ソフィーの心配さえも邪険にする。
ただ、自分がそのような姿であることを見られたくないように、
決してソフィーと目を合わそうとはしない。
ソフィーの
「だってあたし、あなたを愛してるの」
という言葉さえ届かなかったのか・・・。
 
翌朝、快活に階段を駆け下りてあいさつをするハウルは引っ越しを宣言する。
魔法陣を描き、ふくれあがるお城。
かつてのソフィーの仕事部屋のある部屋を作り出し、
ソフィーが暮らした街とドアを繋げる。
そしてもう一つ、ハウルの秘密の庭への通路を開いた。
 
かつてカリオストロの城で、その女の子が信じてくれたなら、
泥棒は空を飛ぶことだって湖の水を飲みほすことだってできるのに、
とルパンは言った。
そして、自分を愛しているといってくれる女の子がいたとき、
派手好きで無責任で見栄っ張りで小心物だった魔法使いがしたことは『覚悟』だった。
家族を護り、好きな女の子が安心して暮らしていけるような環境を作ること。
サリマン先生との争いは避けられず、しかも家族を護るために魔法を使い続ければ、
その身がいずれ悪魔に変わり果てることが分かっていても。
 
・・・みんなが、安心して暮らせるようにしたいんだ。
ここの花を摘んで花屋さんはできないかな?(例え僕がいなくなっても)
 
それが、ハウルの「今はこれが精一杯」なのだろう。
 
戦況は悪化していくばかり、遠く空襲警報が響く。
疎開が始まり街から人々が出て行く。
そんな人達を眺めながら、ソフィーも去っていってしまうかもしれない
不安にかられるマルクル。ソフィーに抱きつきながら言う。
「僕ら家族?」
そう、これは他人同士が家族を作っていく物語。
(ここら辺が韓国でも受けた理由かもしれない)
 
そして、ついにソフィー達の住む街に爆撃が始まる。
それに乗じてサリマン先生の手下どもが家に襲いかかるなか、
ソフィーの家にめがけて降ってくる爆弾。それを止めようとするハウル
間一髪爆弾は不発のままに家に突き刺さる。
ハウルが爆弾の爆発を防いだのだ。だが、その姿は黒い悪魔のようにも見える。
自分がそんな(みにくい)姿に変わっている事は十分分かっていながら、
ソフィーと眼をあわせて会話をするハウル
更に、闘いに行こうとするハウルを止めようとするソフィー。
「僕はもう十分逃げた。ようやく護らなければならない物が出来た。君だ」
それはハウルの、最期を覚悟しての告白。
見かけだけで、実はかっこよくなかったはずの男の子が、このセリフを言うときの
かっこよさは、もう例えようもない
(でも本当はちょっとはかっこつけてるのかも、ね。ハウルの事だから)。
 
ハウルの闘い、
おばあちゃんの暴走、
星降る夜のあの庭での出来事・・・、
その後のことは、まぁ書かない。映画を見てください。
 
ただ、おばあちゃんの暴走を怒るのでなく、許すことにより
ソフィーはハウルの心臓を取り戻す。
過ちをも許せること、それが宮崎流の家族の望むべきあり方なのだろう。
そして、最後に自由になったはずのカルシファーも帰ってくる。
悪魔ですら孤独には生きていけないのかもしれない。
 
空をゆく城には、今まではなかった沢山の木々が見え、
洗濯物がはためき、メルクルはヒンと戯れ、
おばあちゃんは椅子に腰掛けながらそれを見つめている。
そしてハウルとソフィーは・・・。
あの家族はきっと幸せに暮らしてゆくのだろう。